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今こそ、患者・医療者が共に

ルビコン川を渡る時(がん医療セミナー) ~報告その1

こんにちは。

これは5月13日行われたイベント「今こそ、患者・医療者が共にルビコン川を渡る時」のレポートです。Kさんが書いてくれました。



本日取り上げるのは

「がん医療の変遷:メディアの立場から」読売新聞の本田真由美さんの講演です。どうぞ~




私たちがん患者やその家族にとって「新薬」の情報というのはとてつもなく気になるところです。


ところが、新薬がでてもすぐに我々の手元に届くわけではないし、薬価の問題も最近は大きく取り上げられています。



行政の在り方、というのも、非常に重要なようですが、治療に専念しているとなかなか行政について考える余裕はありませんね。


今の医療行政。昔よりはだいぶ良くなった。でもそれはがん患者が声をあげたからのようです。

これからの医療行政。まだまだ課題はあるなか、最近大きな問題となりつつあることがあります。 

高額薬価の問題と、これから導入されるであろう費用対効果の在り方です。



いままで何が起きたのでしょか? これから起きるであろうことに対して患者や患者をとりまく私たちは何を知っておくべきでしょうか?



読売新聞社会保障部の記者である本田麻由美さんが「日本のがん医療の変遷:メディアの立場から」と題して講演されました。


動画はここからご覧になれます。



本田さんは読売新聞で医療や介護の取材をしてこられたがんサバイバーでもあります。2002年、34歳の時に乳がんの告知をうけ、3回の手術に加え、抗がん剤、放射線、ホルモン治療も併せて10年近く闘病されてきました。


「まさにこの時期に、がん対策基本法ができる前後の動きと合わさって患者をしておりましたので、まさに自分事として取材をしてきました。」とおっしゃってます。



▼患者の声が医療を動かす - これまでのがん医療



2006年に成立したがん対策基本法の成立がターニングポイントだと本田さんは説明します。ここで書いてあることは基本的なことばかりの理念法ですが、基本理念の3つ目にある

がん患者の置かれている状況に応じ、本人意向を十分尊重して治療方法等が選択されるがん医療を提供する体制の整備がなされること

という、当たり前のことに思える「がん患者の意向の尊重」というのが法律に明記されたのはこれが初めてではないかと思います。


また、この法律ができたのは患者さんからの訴えから始まりました。 日本のがん政策を変えないといけない、と患者さんたちが動き出したのは2000年頃からだと思います。

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ここに紹介する方々、新山さんはすい臓がんがみつかり、手術後に再発してもう治療法はないと言われました。 このころはインターネットが使えるようになり海外の事情がわかるようになってきた。そうすると、海外ではジェムザールという薬があるのに日本では使えない。 日本では肺癌では使えるのにすい臓がんで使えない。いろいろ勉強して早期抗がん剤の承認を求める署名活動などをされました。



三浦先生は大阪大学で医師をされていて、肝がんを発症してしまった。 日本の医療制度は問題だと思っていたけれど、自分が患者になってどれほど切実な問題かと痛感し、国会に要望する活動などをされていました。



佐藤さんは手術後の抗がん剤で10Kgも痩せるような体験をした。 ところが再発してちゃんと調べると、吐き気止めとかいろいろなものがあるのに、地方では適切に使えてなかった、ということで活動を始めるようになりました。



それ以前の行政は、患者には何もわからない掛け声ばかりのものでした。 


患者側から見る「3つの空手形」。例えば5年生存率を20%改善と言っても生存率をきちんと計算する方法も確立されていなかった。

厚労省のなかにも、具体的に司令塔となる部署もない。

医療側でも外科医偏重であり、腫瘍内科や放射線、緩和ケアの人材育成ができていません。 そういうことは実は医療側からも声をだしてきた。 当時の国立がんセンター総長は「医者が言うと、自分たちのところにお金をもってきたいと見られがちなんだ」という声があった。


患者が言わないで、誰が言うのか
 これが佐藤さんたちの運動の原点でした。

佐藤さんがすごくおっしゃっていたのは

医療政策の決定に患者の参加はなぜできないのか。患者や家族が声をあげなければ、本当の意味での患者が望む医療は実現できないのではないか。

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医療の方針を決める国の会議のテーブルには、医療界や行政の偉いお歴々しかいませんでした。


佐藤さんたち患者さんが地元の議員に訴え、紹介をしてもらい、やっと当時の厚生大臣や文科大臣に直接訴えに行けるようになりました。

そして患者団体と行政をつないでくれる国会議員の方々もでてきて、成果を上げてきました。


2005年には厚労省に「がん対策推進本部」が設置され、がん情報ネットワークが整備され、がん情報サービス(ganjoho.jp)など徐々に充実してきました。


政治を後押ししようと2005年、「がん患者大集会 in 大阪」が開かれ、23の患者団体が共催しました。 このとき厚労省は、当時の尾辻厚生大臣が集会に参加するのは否定的でした。 しかし、尾辻さんは「彼らは潔い。 彼らの心にひかれた」と言い、厚労省の役人を振り払って登壇しました。

活動されてた患者さんは、自分だけがいい治療を受けられることを是としなかったんですね。 日本では承認されていないけれども、あなただけには治療できるようにしましょう、というお誘いもあった。だけど、断ってきた。

「僕だけが受けられても何も変わらないじゃないか」。 尾辻さんは、そこに惚れた。



がん対策基本法の成立



しかし、予算がないと、役所も動けません。


「法律があれば、予算の根拠になるんじゃないか」

患者さんたちが議員会館を歩いてもなかなかまとまりません。 そんな中、大阪選出の参議院議員である山本孝史議員が参院本会議で「私もがん患者」と告白し、「日本のがん対策を進めないと、これからの日本の社会にとってとても不幸なことになる」と制限時間を超えて話されました。

役人が時間オーバーだと指摘しても、参院議長であった扇千景参議院議長は「好きなだけしゃべらせなさい」と役人の制止を聞かなかった。それだけ、鬼気迫る発表だったんですね。


そして2006年6月にがん対策基本法は成立し、2007年4月から施行されました。 本当は、いろいろな駆け引きだとか、これもあれも入れたいけど、それを主張すると法律自体が成立しなくなるから涙を呑んで妥協した、といったことがありました。


法律が施行され、がん対策推進協議会が発足しました。 基本法第20条では、がん患者およびその家族または遺族を代表するものを委員とする、って書き込んでくれたんですね。これを書き込んでくれたのは山本先生で、反対があったそうです。



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筆者Kは本田さんのお話を聞いて、今の医療制度、決して満点ではないけれど、たくさんの皆さん、特に患者さんの努力のたまものなのだな、と初めて知ることができました。

いままでの患者さんやがん患者をとりまく皆さんの努力がなかったら、今の私たちをとりまく環境はどんな姿なのだろうか、と。


次回は、「これからのがん医療」。 医療とお金の問題について本田さんの講演をを続けて聞いてみます。

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