がんと仕事の両立④ Dさんの場合

がんと仕事の両立④ Dさんのお話です。

 


Dさん 

 

簡単に、僕の自己紹介させていただくと、2016年の3月に健康診断を受けまして、そのときに不整脈が見つかったんです。不整脈の中でも何種類かある中で、心房細動といって要は血栓ができやすいタイプの不整脈。だから、これは手術したほうがいいですよって話になってですね。

 

 

それで、2016年の9月に手術しましょうということになりまして、じゃあ8月に心臓のCT撮りましょうということで、8月の頭頃に心臓のCTを撮ったんです。そうしたらその日の夕方に病院から留守電が入ってて、何だろうと思ってかけたら、肺に何か影が写ってます。これ、がんかもしれません。もう一回きちっと造影剤を使って検査したほうがいいですよということで、翌週にもう一回撮り直してみました。そうしたら、これは間違いなく、きれいながんの形です。とか言われんですよ(笑)。がんにきれいも何もあるのかと思うんですけど、いやあ、きれいですよ。と言われるんですよ、心臓の先生がね。

 

 

で、このぐらいの大きさだったら、切って終わりだよと。だから、切るブラックジャックみたいな先生が新宿にいるんです、その人を紹介しますからということで、新宿の大学病院を紹介されました。その大学病院のブラックジャックみたいな先生が、一応データがあるけれども、もう一回うちの病院でも頭からてっぺんまで全部検査しましょうということで、内視鏡検査とかいろいろ検査をしました。

 

 

その翌週フィードバックがあって、そのブラックジャックの先生はちょうど夏休みで海外に旅行に行ってて、違う先生が出てきました(笑)。その先生が僕の顔を見るなり、すごい暗い雰囲気を出してる。だから、やばいかなとは思ったんですね。

 

 

で、その先生が、いやDさん、残念ながら…と言うわけですよ。何が残念なんだと思ったら、あなたはまずここにあります。残念ながら、肺の中のリンパにも転移してます。この時点でステージが3になります。はあ。さらに残念ながら…、まだあるんかいみたいな感じで(笑)、さらに残念ながら、PET検査をやったら骨にも転移してます。ですから、あなたはステージ1、3、4ですって、こういう数字出されましてね。最初は冷静に受け止めてたんです。で、診察室を出てから、腹が立ってきまして。

 

 

会場 (笑)

 

Dさん

俺の平和な人生を崩しやがってこのやろう、みたいな感じでですね(笑)。

いや、皆さん、そういうきつい経験をされたと思うんです。だけど、僕の場合は最初に怒りがわいてきた。で、その怒りのぶつけ先がないわけですよ。ですから、僕はドクターに腹が立った。あんな言い方しなくてもいいじゃないかと思ったわけですね。

 

 

そこの大学病院で2カ月半ぐらいかかることになるんですけれども、そのあと、いやDさん、残念ながらあなたは分子標的薬使えません。だから治験やりましょうみたいな感じで、治験をすすめられました。

 

 

その治験が、皆さんもいろいろ治験とか参加された方いらっしゃると思うんですけど、免疫療法だったかな。うちの大学病院と製薬会社が組んで免疫療法の治験をやってます。ただし、この治験に参加したら、必ず免疫療法を受けられるわけではありません。三つにグループ分けます。1番、免疫療法のグループ、2番、抗がん剤と免疫療法の併用グループ、3番、ただの抗がん剤のグループ、三つに分けます。どれにあなたが入るのかは、コンピューターのランダム選ばれます。でもDさん、どうせあなたは抗がん剤でいくのと、グループ3と同じなんだから、やったほうがお得ですよみたいにすすめられたんです。で、もともとちょっと頭にきてたもんですから(笑)。

 

 

会場 (笑)


 

Dさん

何だ、俺のことモルモットみたいに使いやがって。そんなさいころみたいなものに自分の運命を任せられるか。とさらに頭にきてしまって(笑)やりませんって断っちゃいました。

 

 

それで、代替医療とかご存じの方もいらっしゃると思うんですけど、僕は寺山心一翁先生のワークショップとかも出てましたし、あるいは僕の知り合いの漢方のクリニックで、乳がんのステージ4の人がほとんど奇跡的に治ったとか、そういう話も聞いてたんで、よし、じゃあ俺はその1人になってやると思ったんです。

 

 

それで、その大学病院の治療も受けません、抗がん剤治療もやりません、僕が自分で治しますみたいな感じで。で、最後にドクターに、いや、僕必ず治って、あなたにもう一回来ますからよろしくとか言って握手して帰ったんです。あほですね、はっきり言って(笑)。

 

 

会場 (笑)

 

 

Dさん

それで大学病院では、いやあ、もううちの治療受けないんだったら、経過観察もできません。あなた勝手にやってくださいっていうふうに出されたわけです。だったら、俺は勝手にやって絶対治してやるぞと思って、散々いろんなことをいろいろやっていくんですが、やっぱりどんどん悪くなっていくわけですね。

 

 

僕の仕事は研修の講師なんです。しゃべり慣れてるなと思った方もいらっしゃると思うんですけど、いろんな官公庁とか企業とかそういうところに行って、コミュニケーションとかメンタルヘルスとかコーチングとか、パワハラもやりましたけど、そういった内容の研修をする、しゃべる人なんです。

 

 

2016年の11月ぐらいまでは、何とか仕事に穴を開けないように研修をやってたんですけど、だんだんしゃべったらせきが出てくるようになってですね。これは無理だなということで、11月末にものすごくがんが痛くなったっていうのもあって、休職に入りました。

 

 

その翌月ぐらいから、声が出なくなって首のリンパに転移して、首のリンパがぱんぱんに腫れて声帯がゆがんで、息が漏れて声が出なくなったんです。森進一よりすごい声になりました。

 

 

で、そのうちしゃべってると空気が抜けるので、センテンスがしゃべれなくなるんですね。単語しかしゃべれなくなる。息が苦しいんですよ、しゃべってると横から、はーって空気が抜けていくんでね。センテンスだけしかしゃべれない。そうすると、本当はこんなこといろんなことこんなしゃべりたいんだけど、これしか言えないみたいなな感じで(笑)。いかに自分がしゃべりたい人間なのかっていうことをすごく痛感しました。

 

 

そうこうするうちに、だんだん体の具合が悪くなってきまして、最初は、座ってたらお尻が痛くなってきたんです。ですから、電車に座ってるとお尻が痛いんですね。いや、これは気のせいだって言い聞かせてたんですけど、そのうちに股関節が痛くなって歩けなくなってきました。当然ながら、ちょっと歩くともう息切れする感じですね。

 

 

3月ぐらいになったら、もう階段上れなくなりました。息切れはするし、足は痛いし、立ってても痛いし座っても痛い。どうすりゃいいんだみたいな感じですね。

 

 

4月に入ったら、せきしたときに多分胸に、肋骨に転移してたのでひびが入りました。ごほん、うおーみたいな感じで動けなくなりました。

 

 

5月に入ると、今度は視界がおかしくなりました。右目ですね。右目が、こうやって目を開けると、半分ぐらいシャッターが下りてる。茶色いシャッターが上からぐーっと下りて、視野欠損っていうことですね。ネットで見ると、いやこれは緑内障の症状ですって書いてあります。いや、これ緑内障に違いないって自分で思い込んだんですけど、下のほうに、脳腫瘍でも同じことがありますって書いてあるんですよ(笑)。いや、これは緑内障に違いないって自分で言い聞かせて思い込んでたんです。

 

 

ところがそのうち今度は自分の名前が書けなくなったんです。宅急便屋さんが来てサインするじゃないですか、僕、簡単な苗字なんですけど、字が思い出せないんです。あれ?どんな字だったっけ、みたいな感じで。思い出しながら書くから字が超下手くそ。初めて漢字を習った子どものような感じです(笑)。バランスが超悪い。そのうちひらがな忘れたんですよ。くがどっちに曲がってるかわかんないんですよ。あれ?こっちだっけ、こっちだっけ。よく字を習いたての子どもが反対に鏡文字に書くじゃないですか、おんなじ感じです、どっちも合ってるような気がする。で、きがどっちに膨らんでるかわかんないんです、下の、こっちだっけ、こっちだっけ。

 

 

いや、これはもうやばいなと思って、心臓の先生には3カ月か4カ月に1回診てもらってたんで、心臓の先生に、すいません、肺のCT撮ってもらえますかって頼んで、肺のCT撮ってもらった。そしたら結構もうぐわーっと広がってて、Dさん、やばいよ、肝臓にもいってるかもしんない、脳にも可能性あるよ、これはちゃんとしたところで診てもらったほうがいいよっていうことで、東大病院を紹介してもらって、東大病院の先生に診てもらったら、Dさん、肺もかなり進んでるし、肝臓もいってます、でも一番まずいのは脳ですって言うわけです。

 

 

僕の場合は左目の奥のところに5センチぐらいもう膨らんでたんですね、腫れてた。だから、このぐらい脳に腫瘍があると、もしかすると来週にでも呼吸が止まってしまうかもしれませんと言われたんです(笑)。

 

 

それで、え?みたいな感じです。散々それまで僕は自分なりにこれやってあれやって、当然言われること全部やりました。食事も野菜ジュースもやったし、陶板浴も行ったし、皆さんご存じのように(?)いろんなことあると思いますけど、できることは全部やったつもりだったんですね。ノニジュースだって1日1本飲んだりしてたんです、結構金かかるんですよ、あれ(笑)。

 

 

でも全くそれが意味がなかったということを突きつけられて、それでどうなったかっていうと、すごい楽になったんです。もう俺にやれることはないんだな、やれることゼロになったし、もう気持ちいいぐらい完敗だった。いや、もうあとはお任せしようと思ったんです。サレンダーっていう状態ですね、サレンダー、お任せ。もう自分の人生、自分よりも大きな存在にお任せするしかないっていうふうな感じですごい楽になりました。

 

 

で、そのあと入院です。入院して、東大病院入院するときに、実はその前の病院で、あなた、分子標的薬ありませんよって言われたんですけど、ちょっと信用してなかったっていうのがありまして(笑)、もう一回調べてくださいってお願いした。で、もう一回調べてもらったら、脳は放射線治療をやりました、髪の毛ずばっと線ができて、ここだけ残って、この脇が全部抜けるというちょっと変な感じになったんですけど、そしたら放射線治療をやって終わった頃に、Dさん、あなた、ALKが見つかりました、それで分子標的薬の治療ができるようになりました。と言われました。

 

 

最初の病院では何もなかったです。あなた、分子標的薬使えませんって言われたわけですからね。じゃあぜひそれを使ってお願いしますということで、飲み始めたのが6月の末だったかな。それで7月の10日に退院して、7月の20日ぐらいにCT撮ったら、がんがほとんど全部消えてた。

 

 

僕は上から、脳と両目とリンパと両肺、それから肝臓と腎臓左右と脾臓、それから骨は頚椎と肩甲骨、肋骨、背骨、腰椎、骨盤、坐骨、股関節、大腿骨です。もう全身転移の状態ですね。それが20日間でほとんど消えちゃった。アレセンサはいい薬です。

 

 

会場 (笑)

 

 

Dさん

もうね作った先生に感謝!ありがとう!って思います。薬が効くって先生が言いに来てくれた日は、僕、夜、何かもう手が合わさって、ありがとうございます、僕、生きていいんですね神様!って泣きましたよ。

 

 

で、退院して。ただ、体は爆撃直後の街みたいになってるわけですよ、がんは消えたとはいえ、体力は落ちて体重も50キロぐらいになって、もう骨と皮みたいになってますし。

 

 

ですから、ずっと会社は休職してたんですけど、しばらく休ましてくれと会社にお願いして、会社も、体力が回復するまでいいよと言ってくれた。僕の休職期間っていうのは2017年の11月末だったんですね。夏ぐらいに、休職期間切れる前にやっぱり復帰しますって会社に言ったら、いや、会社のほうはもうぎりぎりまで休んでていいよとか、もっと休んでとかって言ってたので、何ていい会社なんだろうと思って、じゃあお言葉に甘えてと休んでました。

 

 

で、10月末になって、もうちょっと、あとひとつきぐらい、休職期間プラスひとつきぐらい休ましてもらえれば、声も出るようになったので研修とかできるようになるからっていうことで会社に行って、そういう話をしようと思ったら、いや、Dさん、あなた、11月末でもう退職ってことになってるよって、いきなりすぽんと手のひらを返られたように、は?みたいな感じ。いやいや、僕、復職したいんですけど、いや、もう会社の規約でそうなってるから、あなた、11月末で退職だから。いやいや、そんなこと言われても困るんですけどって、いや、Dさんがそんなこと言われて会社も困りますみたいな感じです。

 

 

で、そのとき僕は傷病手当給付金を受けれて、それが翌年の3月末までありました。それでいろいろ交渉した結果、傷病手当給付金が終わるまでは会社に在籍していいですよってことになりました。

 

 

ただ、もしあなたがうちの会社でそんなに働きたいっていうんだったら、僕の仕事は研修の講師ですが、あなたの研修講師としてはもうあなたは見込めません。なぜならばがんの人だからいつ再発するかわかんない、そんないつ再発するかわかんない人の、研修を予定してると、万一この人が飛んだら代わりの人を入れなきゃいけないから、そんなリスキーなこと、会社はできません。だからあなたは研修講師の仕事はありません。もしあなたがどうしてもやりたいんだったら事務職をやってください、その代わりお給料半分ですって言われました。半分じゃ生活できません。あと二つぐらい条件言われました。

 

 

僕、パワハラ研修の講師もやってたんですけど、これ、パワハラじゃないかと思うんですけどね(笑)、

 

 

会場 (笑)

 

 

Dさん

いや、パワハラ研修の講師がパワハラされちゃったよみたいな感じですね。で、そんなに言うんだったら辞めます、と辞めることにしました。

 

 

今から1年ちょっと前の話ですけど、そのときの僕の感情はものすごい被害者意識です。被害者意識と犠牲者意識の塊です。やっと命を永らえて社会に戻ってきたと思ったら今度はこれかよみたいな、そんな感じでしたね。恨みつらみ。

 

 

で、その社長が頭ん中に出てくるんですよ、出てきて言うわけです。Dさん、あなたはおしまいとか、あなたはもう居場所がないとか、それでもう頭ん中でぐわーっとネガティブな会話が始まって、それが一日に何度も起こるんです。苦しい、何度も何度も事あるごとにそれが浮かぶ。被害者意識と犠牲者意識がわき起こってくる、かなり続きましたね、それが長いこと。

 

 

でも最終的にそういうネガティブな波動のエネルギーの中に自分がいて、本当に自分は幸せなのか、自分がそこにいて、本当に自分らしい自分でいられるのか、そういうことが見えるようになってきました。自分を少しだけ客観視出来るようになってきたわけですね。

 

 

でも、心の中の被害者意識は相変わらずモクモク湧いてくる。僕も心理学の勉強をしていましたので、ああ、これはこの感情をちゃんと感じて、外に出してあげなきゃいけないなって、やっと気づきまして、その湧いてくる被害者の僕の声を聞くことにしたんです。ああ、そんなに傷ついたんだね、腹立つよね、大変だったね~みたいに、自分の心の中にいる傷ついたインナーチャイルドって言うんですが、それの声を聞いてあげました。そして出てきた感情をヨシヨシしてあげました。すると、だんだんとその被害者の僕は出てこなくなりまして、今はほとんど出てきません。癒されたんでしょうね。自分の中にいる色々と声をあげる感情の声を聞いてあげることって、とても大事だと思います。少なくとも、聞いてあげる以前よりは気持ちが楽になりますしね。

 

 

ということで、今の僕は無職です(笑)。まあ、これからのことはいろいろと考えているところですね。でもまあ癌でサレンダーの体験をしたので、ある意味何が来ても大丈夫な感じです(笑)。

これで僕の体験談を終わります。ご清聴ありがとうございました。