肺がんBookvol.4から
インタビュー記事 堀均さん(前編)
みなさんこんにちは!
昨年秋に発行した「肺がんBook VOl.4」
こちらの特集記事の、3名の方へのインタビューを改めてご紹介します。
今回ご紹介するのは、堀 均 さんです。
インタビュー、写真は木口マリさんです。

●「病を誇りに変える人」インタビュー②
●日本対がん協会リレー・フォー・ライフ・ジャパン新規開発支援担当
堀 均さん(67歳)
●「がんを経験した人は、みんなヒーロー」
●治療・活動歴
2000年(48歳) 右肺上葉に2種類のがんが見つかる。(扁平上皮癌・腺がん)ステージ3bの告知、放射線療法。
2003年(51歳) 転院・手術
左福神に転移 手術・化学療法8クール
2005年(53歳) RFL活動開始がん剤
2016年(64歳) 日本全国のRFL総実行委員長
2017年(65歳) 日本対がん協会にてがん患者支援
ヒーローズ・オブ・ホープ・アワード受賞
●「手術はできない」――がん患者にとっては、重い言葉です。放射線治療をしたものの、一時は病院に行くことをやめてしまったという堀さん。治療法を模索し、自分で「生きる方向性」を見出していきました。そして仲間と出会い、日本全国に広がる活動にたずさわることに!

●同じ肺に2種類のがん!?
―がんが見つかったのはいつですか。
2000年、48歳の時に会社の検診でがんが見つかりました。当時は結核が流行っていたためがんだとは思っておらず、頭が真っ白になりました。
右肺上葉にできた扁平上皮がんでしたが、その後、同じ肺の中に腺がんが見つかりました。同じところに2種類のがんができるのは非常に珍しいとのことでした。
―突然すごいことに!? 治療はどのように行ったのですか。
家から近いという理由で選んだ病院での診断は、ステージ3b。「手術はできない」とのことで、放射線治療を行いました。
どちらのがんにも、放射線を30グレイずつ照射。その後、医師より「延命のために抗がん剤を行いましょう」と言われたんです。その、「延命のために」という言葉にブチ切れました。
―ブチ切れ! その後、どうされたのですか。
結局、抗がん剤は行いませんでした。放射線でがんが小さくなって呼吸がしやすくなったこともあり、その病院には行かなくなってしまいました。放射線の影響で血を吐くようになっていたため、止血剤と抗生剤だけ服用していました。
●別の病院では「手術できる」の診断
―以降、病院へは?
丸2年が経ったころ、病院から「そろそろMRIで検査しませんか」と連絡があって、行ってみることにしました。そのとき、たまたま別の病院から来ていた医師が検査画像を見て、「うちの病院だったら手術できる」と言ってくれたんです。
手術ができるため、ステージは3bから1bに変更。病院によってステージが変わるという、すごい経験をしました。病院選びは大事だな?と思いましたね。
―これまた新たな展開に。手術はつつがなく行われたのでしょうか。
告知から3年目に入ったころに手術を行いました。ところが、放射線治療30グレイを2箇所+大量の抗生剤を飲んでいる、という点からリスクが高かった。「もしかしたら傷がくっつかないかもしれないし、使える抗生剤もない」とのことでした。
案の定、術後に黄色ブドウ球菌に感染。体に4リットルの膿がたまって39度の高熱が出ました。意識が朦朧とする中、目の前に黒いものが現れて。死の世界からお迎えが来たと思いましたね。
医師は緊急で処置するために「麻酔せずに切りますよ! 痛いけど我慢してね!」と言って体に切り口を作りました。「いたたたた!」と声をあげた瞬間に、サッとドレーンを挿入。ドーっと膿が出てピューっと熱が下がりました。
―治療をしていなかった2年間にはどのような思いがありますか。
僕にとってこの2年は空白の時間ではなくて、自分にがんを認識させてくれた時間でした。「2年間、生きてきた」というパワーも感じていました

●転移発見 医師のユニークな言葉とは
―その後、転移が見つかったそうですね。
2003年に左の副腎に転移が見つかりました。通常はそら豆くらいの大きさの副腎が、こぶし大になっていました。呼吸が苦しいと思ったら、大きくなった副腎が横隔膜を押していたようです。たった2~3週間でそうなったのかもしれないとのことでした。
―医師からの説明は。
当時、副院長をされていた医師が、「堀さん、よかったね?」と言ってくれたんです。
「この病院で肺から副腎に転移した人は、全員生き延びているよ」と。そういう説明もありだなと思いました。
治療は手術と抗がん剤を8クール。それでがんは体から消えました。
―素敵な先生ですね!
その先生の診察では、まず妻に「奥さん、いつもありがとうございます、ご主人をみてくれて」と言ってくれるんです。「家で奥さんが努力してくれているから、ご主人、こんなに元気ですよ」と。まず、家族をケアしてくれる。そのことで、二重に気持ちが楽になりました。
(写真・文:木口マリ)
