『妊娠期がん』インタビュー ゆうさん その2

みなさんこんにちは!

前回に続き、『妊娠期がん』を経験されたゆうさんのインタビューその2です。
このインタビューは樋口宗孝基金の助成を受けて行われました

ゆうさんは肺がんではありませんが、妊娠がわかったとほぼ同時のタイミングで乳がんが見つかりました。
無事に出産し今、お子さんは6歳になっておられます。

では、その1からの続きです。

どうぞ~

*:その後同じような若年性がんの方たちに会ったんですよね。それはどんな感じで出会えたんですか?

 

その時に、ちょうどPinkRing(ピンクリング)という若年性乳がんの臨床というか、グループワークを通院していた病院でやっていたんですね。PinkRingは今、若年性乳がんの患者団体となっていますが、当時は35歳以下のがんの子たちが、同じ時間に定期的に集まって、QOLが上がるか、という内容の病院主催のグループワークだったのかな。そこで同じような状況の友達ができたんです。
そのグループワークを主催している女の先生が私の主治医だったこともあり、ピアサポート、というか心のケアが必要と言って、抗がん剤の治療をしている時に、同世代の方をどんどん紹介してくれたんですよ。

病院で「今同世代の子が来てるから紹介するよ」「いま友達を呼んであげるから」って。私が抗がん剤治療を受けている時に、ブースのカーテンをガラっと開けて、これから治療する仲間を紹介してくれたんです。

また別の日には、赤ちゃんを連れてる人が来院していて「この人も妊娠中の乳がんだったんだよ」と紹介してくれたこともありました。
元気な赤ちゃんを産んだ人がいる、それだけで、本当に励みになりました。そういうことが、ピアサポートとして救われた、最初の瞬間だったと思います。

 

そして、若年性乳がんのグループセッションの後にその仲間でご飯を食べに行ったり遊んだりとかして。そういうのが楽しかったですね。あとは、以前からの友達にもどんどん会いに行って「ちょっと聞いて~がんになっちゃったんだけど」みたいな感じ話してました。SNSで出会った人とのオフ会にも行ったりとか、男女関係なくどんどん人に会いに出かけてました。

 

*:閉じこもるというのではなく。

 

閉じこもると、いろいろ考えてしまって、不安になって怖いですからね。

今考えると、あまりにも不安で、大きな恐怖に真っ向から対峙できなかったんだと思います。

当時自分が直面していたことって、結構大変なことですよね。

1人でいると、なんだか怖くなった。それで外に遊びに行って。夫も積極的に映画を観に行こうとか、食事に行こうとか、外に連れて行ってくれて。それが良かったのかなと思いますね。
仕事もしていたし、向き合うことが別にあれば少し気持ちが楽になった。それで、精神的にも必要以上に怯えることもなかったのかなと思いますね。現実逃避かもしれないですが、過度な不安を回避できたことはよかったと思います。

 

*:その後、手術をしたんですよね。どんな手術だったんですか?

 

先生から、手術と帝王切開を同時にやると言われました。で、またしても、そんな手術をやった人の情報が全然見つからない。前例を聞いたことがなくて、とにかく不安でしたね。いくら調べても出てこなくて。

 

*:たしかにそれは聞いたことないですね。

 

私の場合、入院が一度で済んで、それは経済的な面ではよかったんですが(笑)。でもやっぱり不安ですよね。入院する前に破水したらどうしようとか、またいろいろと悩むわけですよ。がんのことも妊娠のことも。産科の先生にも「陣痛が来ちゃったら下から産むしかないね。その後手術かなとか。」軽く言われて、何をどう心配していいのか、もう心配のしどころがわからなかったです。

 

*:全身麻酔だったんですか?

 

最初は部分麻酔で、帝王切開で出産しました。オギャーって声がして「産まれましたよ」って、一目見て。で、赤ちゃんだけ向こうに連れて行かれて。ああ、ちゃんと産まれてよかったなって。でも、そんな気持ちに浸る間もなく、次に全身麻酔で乳がんの手術に入りました。もっと子どもをよく見たかったですね。抱っことかもしてみたかった。普通だったら、感動のご対面がゆっくりあると思うですが、私の場合そんな時間もなく次の手術ですから(笑)。大変な手術をしてもらえて、とてもありがたいことなのですけどね。

*:手術が終わったら、お子さんが誕生しているみたいな。

 

そうですね。大きな手術が初めてだったので、怖くて、もう本当に不安すぎて。

なので「目をつぶったら胸の形が変わって子どもが外に出てる」とそればかり、呪文のようにずっと考えるようにしてました。

で、手術が終わってからも、帝王切開の傷は痛いし、胸にもドレーンが付いているし、酸素マスクもしているし、排尿の管もついてるし。そしてあちこち激痛で。胸に管が入っててドレーンが入っているのに、出産後だから乳腺が母乳を作り出そうとして。

それが、ものすごく痛いんです。

でも、母乳育児推奨なので、すぐにミルクあげていいですよ、とは言ってくれない(笑)痛すぎて母乳があげられなくて、母乳を止めてもらう薬を使って止めてもらいました。「このままだと傷が開いて再手術になるかもよ」と先生に言われて、傷が開くのも怖いし。痛みも恐怖も、なんていうか地獄みたいでした。

産後なのに胸に希望じゃなくて、地獄と子ども抱いて(笑)。

 

*:手術しているだけでもダメージなのに、さらに産後という状況は、想像がつかないですけど、すごく大変なんだろうなと思います。

 

あまり例がないからか、病院のケースワーカーさんがすぐに行政に連絡を入れてくれたんです。そういうフォローをしてもらえて、それは安心できました。病室に何度も病院のケースワーカーさんが来てくれて。そして退院してから、家にも行政の方が何度か来て話を聞いてくれました。
精神的にも、肉体的にも辛い状況の中での育児なので、保育園を探すのにも協力してくれました。

 

*:新生児の育児をしながら治療をされたんですね。


きつかったですね。抗がん剤の副作用がある中での、新生児の育児が本当にきつかった。

「新生児 育児 抗がん剤治療」とかでネット検索しても、対処法が出てこない。

そりゃそうですよね。そんなキーワードで検索する人も少ないだろうし(笑)。
うちは夫と2人だし、さらに、退院と同時期に引っ越しもしたんです。
なので、近所に友達も親せきもいないから、サポートもない。もう夜中に泣いてましたね。「いのちの電話」に電話すれば、楽になるのかな、なんて思って。でも真夜中は電話相談やってなかった(笑)。

でも、その経験があったからこそ、オンライン患者会のピアリングの運営につながるんですが。

あのね、実際「妊娠期 乳がん」とかで検索すると、私がピアリングなどに書いた記事がヒットするんです。それを見て希望が持てた、とか、自分も乗り越えられると思った、などと言ってくださる方に出会うことがあります。それはやっぱりうれしいですよね。あの辛い経験も無駄じゃなかったな。

*:想像もつかないですけど、育児と治療の両立はどちらもすごい大変そうですよね。悩みもたくさんあったと思うのですが、どうでしたか。

 

産後にきつい抗がん剤をやったので、それがすごいしんどかったんです。

私は抗がん剤がすごく効いて、腫瘍が右胸に2つできていたのですが、術前の抗がん剤が終わるころには、画像上では見えなくなっていました。だから、悪性度は高かったかもしれないけど、治療が功を奏したんですよね。

味覚が全くなくなったり、体中の倦怠感が凄かったり、インフルエンザの関節痛みたいになったり。そして全身がとにかく浮腫んで、体がすごく重くて。副作用がきつい日は、本当に動けなかったです。
そんなこともあり、思うように育児ができませんでした。なので、今でも、子どもに手をかけてあげられなかったな、とその時のことを悔しく思うことがあります。

他のママとは違う経過だったんだな、と思う寂しい気持ち、それから、本当に抗がん剤は子どもへの影響がゼロなのか、など、ぬぐえない不安が今もたくさんあります。

 

*:産後の抗がん剤治療の後、放射線治療をされたんですね。

 

放射線治療をするときは、もう子どもが5ヶ月ぐらいになっていました。
真夏で猛暑でしたが、保育園に入れなかったので、毎日病院に一緒に連れて行きましたね。

最初に通院していた病院では、当時は治療中に赤ちゃんを見てくれるスタッフがいないし、電車の乗り継ぎがいくつかあり、少し遠いので、サードオピニオンで行った病院でやりました。
その病院では、手が空いているお医者さんとか看護師さんが代わる代わる子どもの面倒を見てくれましたね。放射線室に赤ちゃんなんて連れている人は自分しかいない。

なので、周りの高齢者の方や年配の方によく話かけられました。「頑張ってくださいね」なんて声をかけられたりして。大変そうに見えたんでしょうね。

放射線治療は毎日なんで、どうしても体調が辛くて無理な時は、行政の赤ちゃん預かる施設を利用したり、遠くに住んでいる友達がわざわざ来てくれて、ベビーシッターをしてくれたりと、いろいろな形で助けてもらいました。

 

その3に続きます