なかちょんインタビューその2
ー話はいつしか患者力の話へ
だまされないように知識をつけることも、患者力のひとつですね。ネットの世界なんでいっぱいあるわけじゃないですか。いろんな情報あるんで、その中でもやっぱり正しい情報を身につけるっていうことは大事やし、その情報が本当に正しいかどうなのかっていうのを確認するために先生に持っていく。それで初めて、あ、この情報は正しいんだって自分でわかるわけじゃないですか。ただネットだけで見て自分で納得してたら、恐らくだまされるんですよ。本当に正しいかどうかを確認するために先生に聞く。それで、先生がちゃんとした答えを言ってくれるかどうかも、それは先生とのコミュニケーションが取れてないとだめじゃないですか。コミュニケーション不足の人は、うん、どうなんだろうね、うん、そうだねで終わっちゃうんですよね。先生、何も答えてくれないんですよ。だから、先生とのコミュニケーションは大事かな。
うまく会話ができる人であって、先生を自分のほうになびかせられるような、パソコンのほうに向く目から自分に向かせるようなトーク術とかがあればいいんですけどね。でも、困ってる人って、大抵トークが苦手な人なのかな。
― 治療の選択
治療の選択について、家族、友達には全く相談しないですね。多分言ってもついてこれない。(笑)何のこと言ってるかさっぱりわからないと思うので、基本自分で考える。で、「この考えってどうでしょうか」と先生に聞く。そしたら、先生の持ってる考えもおっしゃってくれるんですよね。先生と自分の間を探すんですよ。先生の考えがよけりゃ、もちろん、じゃあそれでいきますって言うんですけど、ちょっと先生の話にも、うーんっていうのがあるのでしたら、もうちょい先生と密になって話して、これはどうですかねっていう、先生と自分との妥協点を探して治療を決める、ですかね。
僕が迷ったときには、こういう選択肢がありますよって先生は示してくれると思うんですよ。ただ、今のところ、次はこの治療をしようかっていうのを自分で見つけてくるので、もう先に選択肢を決めてるんですよね、自分で。なので、先生はもしそれ以外のことがあったら、これもあるよって多分言ってくれると思うんですよ。僕が言って先生がそうだねって言ったら、多分それ以上ないんだなみたいな感じですよね。あとは、その中からどれを選ぶかは、主治医との相談かな。主治医の判断も仰ぎたいってのもあるんで。
― 一番悩んだ治療選択
アレセンサに耐性がついてしまったときに、分子標的薬のジカディアにするか、点滴系の抗がん剤にするかって、悩みました。結構、これ賛否両論なんですけど、抗がん剤を挟んだほうが分子標的薬の効きがよくなるのではって言う人もいれば、全くそんな関係ないっていうデータもあります。
抗がん剤を挟んだほうがいいって思ったのは、分子標的薬のザーコリから同じく分子標的薬のアレセンサに変わって、肺炎になったんですよ、僕。アレセンサで肺炎になるってことは、恐らく同じ分子標的薬のジカディアにしても肺炎になるんちゃうかと思って、一回、はずしたほうがいいなと思って、普通の抗がん剤にしたんです。普通の抗がん剤のほうが肺炎にはなりにくいから。本当に間質性肺炎が怖いんで。副作用の中でもやっぱり一番怖いじゃないですか。なので、それだけはちょっとやりたくないって。普通の抗がん剤にしたら何とか肺炎のほうは治まりました。
つづいてなかなか話しにくい、仕事のことやお金のことについて話してもらいました。そして、がんになってから、どのような身体的、そして精神的な辛さがのあったのかについても語っています。
― 仕事について
仕事は、有休休暇と長期休暇全部を使わせてもらって、そこでもう辞めざるを得なくなって、退職しました。店長はすごいよかったんですけど、人事がもう何か遠回しに、もう行く場所ないんですけど、どうしますみたいな。それでなくても、いろいろ制度を使わしてもらってるから、何か言いづらくて。雇用期間中は、治療に集中してる状態で、出社はしてません。体力が必要な仕事なんで、治療との両立は、結構難しいです。傷病手当を1年半もらってから退職だったかな。社員になってから働いた期間が短かったんで、退職金はなかったです。
傷病手当をもらっている間は、普通の給料が入っていたんで、全然いけたんですよね。治療費もそれでまかなえてたし、余裕やったんですよ。ただ、やっぱりそれが切れたときは、もうやばいですよね、どうしようって。働いても10万ぐらいにしかならへんなと思って、これじゃきついぞと思って。
自分で働ける仕事って限られていて、なかなか見つからず。オープンな性格なんで、肺がんですって言うた時点で雇ってくれない。保険も入ってなかったんで、入院したら、全部自腹。貯金もあんまりしてないですよ。それでも、切り崩してやってる状態やったんで、どんどん減っていく一方で、これはまずいなと、真剣にちょっと仕事やんないといけないなと。
退職してからは、親戚が仕事を持っていて、何とかお願いをしてそこに入ったんですけど、やっぱ気が引けたというかな、親戚に対して。なかなかない仕事を自分のためにいろいろ持ってきてもらって、自分に見合う仕事を持ってきてもらってとかいろいろしてもらって、何かもう申し訳ない申し訳ないで。でも、そこまでお給料はなかったんですよね。働ける時間が少なかったんです、どうしても。かつかつのとこへ人を入れるってことは、誰かを休ませたり早上げしたりせないかんので。それを何か親戚の僕が入ってきて、他の人の仕事時間をとるようで、それにすることがなかったりとか。何か申し訳なくて。みんな気を使ってくれるんですよ。その気を使われるのも嫌やったんですよ、やっぱ親戚やからね。がんやからっていうのを全部伝えていました。
ハローワークには行きましたよ。やっぱり自分に見合う仕事っていうのがないですよね。僕は隠すことは嫌いなんで、がんであることも、治療中であることも伝えて、全部オープンにいくんですよね。そしたらやっぱり難しいとはなるんですよね。仕事の紹介はありますよ。あるんですけど、自分が選んじゃうんですよ、今度は。これちょっとつらそうやなとか。肺がんだし、最近体力ずっと落ちてってるし、もうホールでの仕事はしんどいしなみたいな。自分からどんどんなくしていっちゃうんですよ、道を。で、残っていく道って楽そうなやつを選んじゃうんですよ。例えば、事務の仕事とか。座ったパソコン仕事やったら別に体力使わないですから。でも、それってExcelがちゃんと使えたり、Wordが使えたり、検定をちゃんと持ってたりとか、スキルが要るわけじゃないですか。なので、女性が結構そういうスキルもあって多いんですよね。事務員って男性がなかなかなくて、男女問わずと書いてるけど、女性のほうが多い。だから難しいですって。行ったところで多分無理でしょうみたいな。
今は仕事を変えまして、会社が完全バックアップしてくれてます。患者会をとおして知り合った方で、三重県で仕事があるからどうですか、とお話をくれて。患者会活動をしてるのも知ってるし、僕のブログも見てるし、給料面で大変なのも知っている。すべての要望にこたえることはできひんかもしれへんけど、できる限りこたえてやるからみたいな感じでした。だから、東京で患者会があるときも協力してくれるし、休んで行っていいって言ってくれるし、もう本当になかちょんのやりたいようにやっていいからみたいな感じで言ってくれて。でも、もちろん、そんなやりたいようにばかりはしないですよ、仕事を優先してね。
今は一般の方と同じ仕事をさせてもらってます。体力的には余裕ある仕事ですね。工場の中で働いてるんですけど、体力は消耗しなくて、普通のお給料ももらえてます。僕は治療になると、下手したら入院とかで2週間とか1カ月休むことになったりしますので、それでもいいと。家族に同じ肺がん患者の方がいらっしゃって、なかちょんの気持ちもわかるし、そういう人たちを何とかして雇ってあげたいと、雇用についてすごく前向きな方です。
障がい者じゃないから、別にがん患者さん雇ったからって助成金が下りるわけじゃないじゃないのに。がん患者さんも元気に働ける人もおれば、そうでない人もおる。そこら辺の区分けっていうのも難しい。どこまで働けるのかの見極めが難しいとこもあって、雇い入れをするにはちょっと厳しいとこもあるけど、なかちょんを見てると何かいけそうな気がする。確かに悪くなってるかもしれへんけど、いまは普通に働けるようだから、雇ってあげたいと。なので、僕をモデルとして一回雇わしてくれないかっていう話でした。そういう考えでしたら、僕は社会に貢献する企業に力を貸してあげられるじゃないですか。僕でよければっていう感じで行かせてもらいました。
(保険のこと)
今、37歳で、がんが分かったのが34歳。その頃にちょうど保険に入ろうと思ってたんですよ。結婚もしたんで、子どもが生まれる前に保険もいろいろ入っとこうって考えてた時期のがんやったんですよ。入った保険が二つぐらいあったんですよ。がん保険に入ったり、先進医療のついたやつとかいろいろ入ったんですよ。でも、がんの時期と重なってしまったばっかりに、全部解約になってしまったんですよ。入ってまだ2カ月ぐらいしかたってないうちにがんが分かったんです。「あなたがんってわかってたでしょ?」みたいな感じでした。
子どもができたちゅうて、やったって喜んだ時期。タイミングがすごい悪かったですね。子どもができたと同時ぐらいにがんになってるので、うれしいとすごいショックが一気に重なってきた。そしたら、保険はあかん言われて。半年間はもう本当死人状態でしたよ。家族ももう頑張れとも言いづらいし、何をどうしたらいいかわからん状態。だから、もう僕、孤独感をずっと味わってたかな。誰も絶対わからんやん、この気持ちみたいな。
(がんになっての肉体的な辛さ)
肋骨に転移してたんで痛かった。でもロキソニンで痛みが抑えれたんですよ。放射線は当てていないですが、分子標的薬のザーコリ一発で骨まで効いたんですよ。ただ、脳に転移してなかったのに、脳に転移しちゃった。力仕事はできないわけじゃないけど、すぐ息が上がっちゃいますね。体力は落ちましたね。腹筋、腕立てとか、トレーニングはしてたんですけど、それも適度にやらないとあんまりよくないっていうのを聞いて。運動するってことは細胞を活性化させたりとか細胞を分裂させたりするわけじゃないですか。これ恐らくがん細胞も分裂するんちゃうかなみたいなね(笑)。運動はいいのかどうなのかって。やりすぎたら逆効果になるんだなっていう。なので、適度であまりやりすぎない。
(がんになっての精神的な辛さとそこからの脱却)
約半年ぐらいかな、放心状態。抜け殻な感じ。で、破壊衝動に襲われたり。何もかも壊したくなるような。何で俺がみたいな感じで。子どもがだだこねるような(笑)。周りが幸せそうに見えるんですよ。がんが告知されてないこいつらは、のうのうと生きやがってみたいな、何の苦労もしてなくてみたいな。自分が悪の色に染まっていくじゃないけど、もう被害妄想的な感じで、だんだんそうなってく。もう今のブログのポジティブなんて本当に見られないぐらい、え?そんな時期あったの?っていうぐらい。
想像つかないでしょ?生きてることが本当に幸せって思いだしたのは、同病者のブログを見てだんだん気持ちも変わってきた。最初は、どうせ死ぬのに、何でこいつ頑張ってんの、みたいに思いながらブログを見てた。でも、辛い時期を抜け出せたのは、全部ブログのおかげですね。本当にいろんな人がいるんですけど、サミットの副代表のシンZさん(アメーバでのハンドルネーム)やったり、北海道の女の子であったり。
何か見入っちゃったんですよ。何でこの人たちはこんなに頑張んだ、何でこんなに楽しくやってんの?みたいな。ブログに笑えて。おもろいなみたいな(笑)。自分よりもひどい状態なのに、笑ってる。気がついたら自分それ見て笑ってて。俺、笑わかされてるや(笑)。自分は笑わかされてるわと思って。この人面白いなって。
当時は、患者会には興味がなく。そんなものがあるっていうことも知らなくて、ただ、ブログっていうのに会って、面白く、楽しく書いてるんですよね、みんな。それがすごい自分の心を、変えたのかな。会ったこともない人のブログが楽しくて、すごい力をもらったんですよ。生きる力もらいました。そこから自分もじゃあ、同じように、最初はそんなつもりじゃなかったけど、ちょっと俺もブログやってみようかなって。完全にはまだ復活してないんだけど、とりあえず自分が生きた証ぐらいは残しとこうかなみたいな感じでブログを始めたんですよ。
アメーバってあれ会員に入らないと「いいね!」押せないんですよね。会員に入ると「いいね!」が押せるんですよ。会員になって、今まで見てきたブログの人たちに「いいね!」押せるんですよ。自分のブログに、向こうからも見にきてくれたりするんですよね。今まで力もらってきた人からコメントもらったりすると、すごくうれしくって。自分もやっぱりこういう人たちみたいになりたいなって思った。