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体験者インタビュー・大西幸次さん その3

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-仕事について-

 

 

 

 

 仕事は告知を受ける前にマネージャー昇格の話があったんです。ただその昇格は異動して仕事の責任が増えるだけの内容でしたので、正直今の立場の方が給料も高くて仕事の責任があまりなく、すごくいいポストにいたので昇格異動はしたくありませんでしたが、上司が信頼置ける方だったので一旦は受け入れました。しかし今回の告知によって、この人事の話はなかったことにしてくれといわれ、昇格異動を免れたのでどちらかというと、告知を受けたおかげで今もずっと変わらず何か助かったみたいなところがあります。

 

 それと僕の会社は大手企業なんですけど、ちょうど51歳になるときに一旦退職して、再雇用っていうのがあるんです。本当は60歳で定年なんですけども、ワークシェアリングっていうのがあって、例えば高齢者には本当は希望退職など募って辞めてほしいけど、そうじゃなくてワークシェアリングを選んで給料を3割カットにし地元に残るか、60歳定年を選んでマーケットがたくさんある大都市のほうに仕事に行くか、どちらかを選びなさいっていうのがあり、2007年の4月から僕は退職再雇用で、3割カットのほうを選んでたんです。

 

 そのときちょうど入院してて4月に退院し5月、6月と自宅療養をしてたんです。でも給料が全然減らないんですよね。4月から僕は3割減ると思っとったのが、何か満額振り込まれているし、あれ?で、5月も満額なんですよね。あれ?いつから3割カットになるんだろうって思って、職場へ電話をして「全然3割減ってないんですけど」って言ったら、病気休暇中は退職再雇用がストップになるそうなんです。「ではいつから3割カットになるの?」って聞くと、職場に仕事復帰した翌月から3割カットになりますっていうふうなことで、休んでたら100%もらえるのに、仕事に出ると3割カットされる。ずっとそうしたらいっぱいまで仕事をしなければ得じゃねえかっていうふうに思ったんですよね。それを直属の上司に伝えたら道徳的にどうなんだと言われましたが、更にその上の上司からはそれはその個人の考え方だから自由じゃないの?と、おおらかな回答をもらって、じゃあいけるとこまでと思ったんですが、自宅療養って何もすることがなくて本当に暇なんですよね。5月、6月の2カ月は自宅療養したんですが、とにかくもう2カ月が限界で7月からはもう給料減ってもいいから仕事したくて復帰したんです。

 

 それとこれも病気になって初めて知ったんですが、大手企業の健康保険組合はすごく手厚いんです。普通国保は高額医療限度額制度を使っても大体一般の人なら80000円~90000円くらいが限度額じゃないですか?僕はそれなりの給料もらってるのに最初から25000円だったんです。もう、病気になって初めてこの会社でよかったと思いました。なので仕事の面やお金の面はまったく苦労がありませんでした。それに25歳のときにがん保険だけ入っていて途中で三大疾病対象になるようなキャンペーンやってまして、がん保険をバージョンアップさせたがん保険にもう一口入っていて結構もらいましたから(笑)

 

 

 

 

大西さんはがんと告知されたタイミングで苦のない職場ポストを維持し、知らなかった会社の手厚い保障や、がん保険2倍でお金の面でも苦労をまったくしなかったことが羨ましく思いますが、災い転じて福となすといいますか、今までの努力の賜物なのですが、大手企業と一般企業との保障の違いの格差には驚きました。これが現実なんですね。

 

 

 

-闘病生活の中での不安や辛かったこと-

 

 

 

 まず、辛かったことは副作用の手足の痺れが酷くて抗がん剤を投与した翌日から違和感というか、砂利を踏んでるような感覚で足の裏のしびれがすぐ出てきて、それがもう回数を重ねると4クール目なんて本当に歩けないっていうか何かベッドに寝ておれんという痛さでした。ものすごく痛くて、まだ歩いたほうがちょっと楽かなっていうような。だから夜寝れなくて病院の廊下を深夜徘徊したりしてましたね。その足の痺れは今でも残ってます。普段は忘れてるので気にならなくなるんですけど、こういう話をしたときに意識してしまうせいか、一番しびれが出てきます。

 

 不安やったことはやっぱり抗がん剤というのは生まれて初めてするもので、それをテレビドラマでげーげー吐いて、髪の毛は抜けて、やがて死んでしまうっていうドラマしかやってなくて、あんなつらい思いをしなくてはいけないのかっていうようなことを一番最初の抗がん剤を打つときに思い、すごく不安でしたね。自分の体に抗がん剤が入ってくるときに、うわっ大丈夫かなあっていうのとやっぱり、この治療で治った人がいるのかという不安感。看護師さんは治った人もいますからとか、元気になった人もいますからとかって言われるんやけど、そんな人見たことがなかったんですよね。もしそういう人がいたら紹介してほしいという思いがありました。

 

 あと、治療を終えての再発の不安はすごくありました。治療を終えて経過観察になったとき、何も治療薬っていうのを渡されなくて何もしない。何もしない状態はすごく不安になるんですよ。だって治療してるときは薬があるじゃないですか?全く何もなくて、要は経過観察ってすごく言葉的には何かいいような言葉なんですけど、突き詰めて言うと、再発とか転移をみつけるためにやってるだけで、それを予防するために行ってるわけじゃあないんですよね。だから患者本人にとってはそういう感覚しかないので、何かをしなくてはいけない。それこそ食事療法を取り入れようとか、何かサプリメントを飲んだほうがいいんじゃないかとかなるんですよね。で、特に本人よりも家族がこんないいものがあるとかって言うて水を買ってきたりいろんなことをしてくれれますが、それはやっぱりドクターにとっては、そんなお金があるんならおいしいもの食べなさいとかって言われるんですよね。

 

 でもやっぱり精神的に何か支えになるものっていうのかな?例えば、自分がこれをやってれば安心できるものっていうのが、小遣いの範囲内で無理なく継続できるもであれば、一つのヨーグルトでも毎日これを1個食べることによって、これを食べてたら大丈夫なんだって思えれば、それでいいかなとは思います。

 

 患者会でも何でもするのではなく、小額なもので継続可能なものを生活に取り入れ、自分がそれをすることによって精神的に安心できるんだったら特に止めることはなく、むしろおすすめしますっていうようなことは言ってます。

 

 だから僕の場合は性格もあると思うんですが、精神的に勝つということではなく、不安なこと再発、転移はなるべく考えないようにしてます。例えば、ちょっとどこかが痛くなると、ああここへきたかっていう不安はやっぱり常に今でもありますけども、ただ、本当に転移したのか再発したのかっていうのは検査しないとわからないので、確定するまではあんまり考えないでおこうと考えるようになったというか。で、悪いことばっか考えて、なったらどうしようっていう思いよりは、なってから考えるのが気が楽かなって思いました。あんまり答えのないことを長いこと考えとっても、時間の無駄というか、わからないもんはわからないですから。

 

 

 

 

-薬への抵抗感-

 

 

 

 僕は足のしびれですごく寝れないときに、看護師さんが「睡眠薬を飲んでみますか」って言われたんですよね。生まれてから今まで睡眠薬って飲んだことがなくって、それ飲んでほんと次起きれるんかな?冗談で起きれなくなったらどうするんかなあとかって思ってたんですが、「試しにとりあえず、気の毒なので飲んでみてください」って言われて1回だけ飲んだんですよね。

 

 そしたらすごくよく眠れて、足の痛みも忘れて朝快適に目が覚めたっていうのがあったんです。で、それを「続けて処方してもらいましょうか、2週間分」とかって言われたんですけど、やっぱり癖になると嫌だったし、仕事も行ってないので眠たくなったら寝るし、別に夜寝なくてもいいとか、無理して寝なくてもいいので3日間ぐらい起きてたら自然に寝るんじゃないかとか、そう思って睡眠薬を断ったんです。そしたらその看護師さんは、他の患者さんみんな飲んでますよって言われたんです。

 

 他の患者さんって足も痛くないのに何で飲んでるのやろと思ったので、「何で飲んでるんです?」って聞いたら、「やっぱり自分がこの先どうなるんだろうっていう不安で夜寝れないから睡眠薬飲んでる」って言われて、どうなるかわからんってその意味がわからなくて、え?どういう意味やろう?って思って、どうなるかわからないってどういう意味かなあって、同じ部屋の人に「飲んでるの?」と聞いたら、飲んでるって。

「どうなるかわからん」っていう意味がわからんのやけど?って聞いたら、いや死んだらどうなんのやろ?とかって考えるんやって言うのね。で、ああなるほどと思って僕もそんじゃあ死んだらどうなんのやろって考えました。考えたんやけど、すぐそんなん死んでみないとわからへんしってなって。そんなわからんことをずっと考えることが、ちょっと僕はどちらかというと苦手なんか、そんなん考えてもしょうがないやっていうふうに思ってしまうので楽天的なんかな。

 

 けれど例えば副作用でも、まあ確かにつらいんですけど、髪の毛が抜けたとかっていうので、髪の毛がないことに対して落ち込むよりは、髪の毛がないからシャンプーが要らなくてよかったとか、ひげそらなくて助かるから何かすごく便利って思えるようにするとか。女性だってウィッグを変えられるので気分でウィッグを変えられてその日のおしゃれができるとかっていう女性もみえますからね。

 

 今みたいな話は患者会でもでるんですが、だからまあ考えるなって言ってもやっぱり考えてしまうので、なるべく考える時間を短くしましょうよとか、いいこと、楽しいことを考えましょうとか、やりたいことを考えるような、例えば、つらい治療を今やってるんであれば、この治療が終わって一段落したら次これをやろうとか、何か目標を持って治療をしたら頑張れて、将来に楽しみもあるんじゃないんですかね?と言ってます。

 

 

大西さんは痺れの後遺症が残り不安を常に考えさせられる中、できる限り不安なことは考えないようにすることと前向きに考えることで再発の不安を克服してきたようです。本人の性格もあるかも知れませんが、答えの出ないことをひたすら考えても仕方ないなというのは同感できます。

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