笑顔、そしてワタシ色の病室で、ワタシなりのがん闘病!!
のこたんさん(70代) その1
お話をうかがうのは、のこたんさん(アーティスト/70代)。
実は、今回のインタビュアー(木口マリ/子宮頸がん体験者)の母であります。
ステージⅠaという早期にがんが見つかったのは、家族としても大変ありがたいことではあったのですが、その心情を深く、しかも客観的にたずねる機会はなかなかありませんでした。
しかしたとえ早期であっても、その人にとって、がんは大きな不安を抱かせるものとなります。のこたんさんは、やはりショックがありながらも状況を受け止め、気持ちを転換して治療を進めてきたそうです。そんな中で編み出した、“のこたん流 景気付け”の方法とは!?
●<病歴>
2010年 4月 咳が出はじめ、近所のクリニックへ
9月 結核の疑いで検査を予約
10月 大学病院を受診
2011年 2月 右肺上葉部にがんが見つかる(71歳/ステージⅠa)
8月 もろもろの理由で延ばし延ばしにしていた手術を行う
退院後〜現在 経過観察中
●結核かと思いきや「がん」——70代でも“ネットで情報収集”は「フツーです」
—がんが見つかるまでに、何か症状はありましたか。
2010年4月ころから咳が出始めました。でも、そのころは母の介護で埼玉から福島まで毎週3日間通っていたため、「介護疲れかな」と思っていたんです。しかし、肺がん経験者の友人から「咳が出たら注意した方がいい」と言われていたことが記憶にあり、いつも診ていただいていた近隣のクリニックへ向かいました。
レントゲンを撮った結果、肺にすごい数の白い影が見つかったんです。先生もびっくり(笑)。「結核かもしれない」とのことで、近くにあった結核を専門に扱う病院を受診しました。そこで「入院して、肺の組織を採取する検査をしましょう」ということになりました。しかし、検査の予約をしていた9月に母が亡くなり、急遽中止となってしまいました。
—それは大変でしたね。でもご自身の体のことも心配だったのではないでしょうか。
がんの可能性も考えてはいたので、検査をして「結核じゃありませんでした」と放り出されてから悩むくらいなら「先に自分で調べてみよう」と思い立ちました。
—どうやって調べたのですか。
インターネットで。「咳」「がん」で検索して、どこの病院がいいのかなど調べました。
—のこたんさんの年代でインターネットとは、なかなかないですよ!?
そう?全然普通(笑)。 調べたら、国立がん研究センターやがん研などが当然出てくるのですが、〇〇大学病院が良いかなと思いました。その理由は、以前、息子が重傷を負った時に救ってもらったことと、そこの医師が、肺がんについてとても詳しく丁寧に書いていたことから「この先生に診てもらいたい」と思いました。
そこで、クリニックの医師に相談し、紹介状を書いてもらって行きました。しかし、「『●●先生』と書かれていないと医師の指定ができない」と言われ、もう一度クリニックに戻って紹介状を書き直してもらいました。
—二度手間でしたね(笑)。そうまでして診てもらった医師の印象は。
すばらしい先生。しっかり話を聞いてくれて、「こんなにいい先生がいるのか」と思うくらい。 ……美形だし。
—そこか(笑)! そしてがんの告知となったと。
CTなどの検査を何度か繰り返してみないと分からないとのことで、数週間に1度CTを撮りました。検査を続けていたら、肺の影が出たり消えたりして、最終的に右肺の上と下に1つずつ影が残りました。そのうち、上の影には核が見えてきました。 2011年の2月、「これはがんですね」ということになりました。
●「夫が冷静で助かった」——告知と家族
—「がんの可能性もある」とは思いつつも、やはりショックでしたか。
目の前が真っ暗になるくらいショックでした。 夫と息子がついてきてくれて、3人で告知を聞きました。
—ご家族の2人はどんな様子でしたか。
夫と息子は告知でも意外とひょうひょうとしていて、一生懸命、先生に質問をしてくれました。夫は医療に関係している人だったこともあって「誰でもかかるんだから」と冷静でした。それで助かった部分もあります。夫がうろたえていたとしたら、それを見て私も落ち込んでしまったと思います。
—ご自身はどう思われましたか。
ショックではあったけれど、「早期発見でよかった」と思いました。自分でも医師の話は理解できましたし。直接告知をしないのが普通かと思っていたので、先生に「本人に告知するんですね。自分で分かるのはいいですね」と言いました。
そして、セカンドオピニオンをネットで調べて紹介状をお願いしました。先生に「お気を悪くなさいませんか?」とうかがいましたが、「今は普通です」との回答で安心しました。
—普通の人よりもずいぶん冷静だったようですね。
でも、家族から優しいメールをもらったりすると、ポロポロ涙が出ましたね。「涙って真珠みたいなんだ」というくらいきれいな涙がポロポロと。 「どうして私が」とも思いました。いざ、がんが自分のことになると、こんなに弱くなるんだなと思いました。
—“メール”ということは、家族とはオンラインでやりとりをしていたと。
ハイ、状況はLINEで知らせていました。 そのほか、仕事で関わりのある人などにも結構すぐ知らせました。「別荘に行ってきますから」って。
—別荘って、違う意味にとられそうです(笑)。