田中勇さん講演(前編)

こんにちは。岡山から来ました田中です。この度は市民公開講座でお話する機会を頂きまして有難うございます。そうそうたる先生方のお話しの後で緊張しますが、経験者として精一杯お話しますので、お付き合いください。

 

 

 

私がお伝えしたい事を最初に言っておきます。

それは先生任せではなく納得した治療をしましょうと言う事です。

私の体験談の中で折に触れてお話ししますが、話のポイントは

「本気でがんに立ち向かう」「がんは治ると信じる」「がんを治すのは患者」「本気で医師に立ち向かう」の4つです。

患者さん自身が治ると信じてがんに立ち向かう事が一番大切な事です。

 

これらこそが患者力だと思います。私が患者力と言う言葉を初めて聞いたのは昨年の市民公開講座で、日本肺がん患者連絡会の説明でした。

 

 

 

 

ではその日本肺がん患者連絡会とは何なのか?

一昨年の11月に日本肺癌学会学術集会にて全国の6つの肺がん患者会の各代表が集まり発足しました。昨年も同じように学術集会の後で患者連絡会議を開催しました。小さな患者会でも集まれば大きな声となりますし、患者会同士がもっと情報を共有してこうという会です。

 

そして患者力アップについては、話の中で何かのヒントを掴んで下さい。自分のがんについて知る事はとても大切な事です。

それでは改めて自己紹介します。こんな風体ですが、真面目な会社員で営業マンでした。と過去形なのは、昨年1月にやるべき事が見つかったので退職しました。

煙草は1日に2箱近く吸っていましたが、今は吸っていません。

好きな言葉は「日々是好日」「一期一会」簡単に言うと人が好きで出会いは大切にし、一日の終わりには、今日もいい日だったと思えるようにしたいと思っている55歳です。

 

闘病中の呪文。「よくなる、よくなる、絶対良くなる」これが自分の脳に暗示をかけて、良く効きます。タダですから試してみて下さい。

これまでの経過についてお話するにあたり、告知までのこと、告知から治療終了まで、経過観察中と3つに分けてお話しします。

ステージ4と言いながら半年間しか治療をしていません。

告知までは、東京で仕事をしていました。

告知の年、5月には人間ドックも受診し、胸のレントゲンも異常なし。

そして7月の出張時に、新幹線で足を組んで眠ってしまったのをキッカケに腰から背中にかけて痛みを感じるようになりました。

そんな時みなさんならどうされますか?

 

 

私の場合、がんなんて全く疑わず整骨院通いをしていました。行くと楽になるので間違いなくどこかひねったと思っていました。

そして忘れられない9月1日。尋常じゃない背中の痛みと、初めての血痰、整形と内科がある診療所に駆け込みました。

そこでレントゲン、CTを撮り医師から「紹介状を書きますから、明日大学病院に行って下さい。」の一言。翌日の出張もドクターストップ。

翌日、不安を抱えながら大学病院に行きました。

大学病院では、癌の話ばかりするものだから、可能性は何割ですか?と聞

いてみると、7~8割との事。自分から聞いておきながら、こんなにも

アッサリと言われること?だましてない? そんな感じでした。5月のレントゲンからたった4ヶ月です。その後、PET・生検をし、9月14日に結果を聞きに行くと、現段階では遠隔転移は無いから限局型小細胞肺がんステージ3A。ただ進行は速いだろうから今月中には治療方針を決めた方が良いとの事。覚悟してたとはいえショックでした。

微かな希望も打ち砕かれ凹んでいる所に、もっと凹む事がおこりました。

待合に居ると、看護師さんが近寄ってきて「私、緩和ケアのXXです」と自己紹介し始めました。頭の中は「あんた誰?なんで緩和ケア?」。

緩和ケアってホスピス? 終末期?くらいの知識しか持っていません。

 

 

 

 

癌の告知を受け入れるだけでも大変な時に、突然、緩和ケアと言われ、何が何だか分からずに、パニック状態で看護師さんが何を話していたのかも覚えていません。

その時に、こんな所で治療してはダメだ、この病院には戻らずに自宅があり空気の綺麗な岡山で一緒に闘ってくれるドクターを探そうと決断しました。

まさに「決断」決めて絶つです。あっこれカープの黒田投手の著書の言葉です。

 

 

 

 

「勢いだけは有りますが岡山でどうしたらいいか分からない」そんな時に、知人が岡山のある医師を紹介してくれました。

「藁をも掴む」思いで、紹介状を持ち、朝イチに先生の所に行くと、開口一番「僕は治療しないけど病院は紹介してあげる。そして医療関係者は専門用語を使うから理解できないでしょ。だから通訳してあげる」と言って下さったんです。

その言葉だけで掴んだ藁を離してはいけないと強く思いました。

 

 

 

この先生がセカンドオピニオンを買って出てくれ、今では「かかりつけ医」となってくれています。

その先生の動きの速かった事。すぐに一番受診したかった大学病院に電話し、送り出してくれたので、午前中には受付が終了。

午後からの診察で、「自分は一緒に闘ってくれるドクターを探すためにここに来たので、一緒に闘ってくれないのなら、帰ります。先生どうなんですか?」なんて今考えると、相当尖がった患者でした。

 

 

 

  

 

「がんは治る、治す」と信じていましたから主治医も自分の納得のいく先生を選びたかったんです。

「私が治す」と思っていたからだと思いますが「治してくれ」とは言っていません。「一緒に闘ってくれ」と言っていました。「治してくれ」と言っていたら「うん」とは言わなかったでしょうね。

ここからが「本気で医師に立ち向かう」の始まりです。

結局は、先生に「一緒に闘いましょう」と言って欲しかったし、言わせました。

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