田中勇さん講演(後編)
こうして、希望の病院で治療をする事になり、再検査すると、流石に小細胞癌です。たった半月で限局型ステージ3Aから進展型ステージ4。この時には治すと信じていましたし、覚悟を決めていたからでしょう、ステージ4は不思議と気になりませんでした。
その後入院し、病棟医と治療方針を決める時には、セカンドオピニオンの先生も約束通り来て立ち会ってくれ、通訳をしてくれました。
病棟医からは、2種類の抗がん剤があり効果は同じです。どちらにしますか?と。自分で選ばせる?尖った患者ですから病院から試されたのでしょうか?
ですがそこは元営業マン。2つ案をだされるとメリット/デメリットを聞きたくなります。片方を使うと放射線治療ができなくなるとのことなので、武器は多いほうがいいと思い、放射線も使える抗がん剤を自分で選びました。それを4クール継続する治療方針です。今で言うインフォームドチョイスですよね。自分で選んだという意識があるからでしょう。抗がん剤は、1クール目からよく効いてくれました。
例えばスポーツも同じで、道具も大切ですが、本気で上手くなりたいと思っている選手がいい道具を使えば効果も倍増します。薬もそれと同じで、患者が薬を効かせる気持ちで服用すればその効果も違ってくるはず。結果的に、2クール目の終わりには原発巣も33×37mmから6×17mmへと1/10以下になっていました。
その頃に、癌も小さくなってきたから放射線で、癌細胞をたたいてしまおうとの提案がありました。ただ、通常の放射線照射範囲をはるかにに超えた範囲への照射。放射線科は無理と言ったけれども、病棟でサポートするからと照射範囲が決まったたようです。そんな事を主治医からではなく放射線科で聞き、今まで納得して治療を続けてきましたが、どこかに納得していない私がいました。
そんな時こそ、何かが起こるものです。
放射線も残り7回まで来た時に、心膜炎を起こしたんです。相当、痛かったですね。主治医は何かの菌が入ったんだろうと言いましたが、病院に居るのに菌が入るなんて。今から思うと病院は病原菌のデパートだから、白血球が低下している状態だと危険、だけど、その時の私は病院素人だから、病院で菌が入るとは思えなかったんです。相当悩みましたが、このまま続けて心膜が破裂したらとんでもない。自分の体と相談し、自分で、放射線治療の中止を決めました。
だけど、主治医は納得しません。ある時病室で「このまま放射線治療を続けないと絶対に再発する。だから助かる道は放射線治療しかない。自分で再発を選ぶのか」と主治医から強く言われました。みなさん、この言葉ってどう思います?不自然だと思いませんか?
「絶対に治してやるという事は言わないのに、何故、再発するという事は断言できるのか分からない。放射線治療はもうしない」と言い切りました。
そうこの病院、一説では白い巨塔の舞台となった大学病院と言われています。そんな事もあった次の助教授回診の時、助教授である主治医が「この前はごめん。いつも学生には病気を見ずに患者を診ろと指導しているのに、僕が一番出来ていなかった。本当にごめん」と私に謝りました。
やるな~とは思いました。が、まだ不信感は継続中。でもほかの先生の前で言ったのは、立派です。その数日後です。主治医から抗がん剤をもう2クールしようと提案が有り。これが信頼関係の修復開始タイミングでした。こちらの本気度合いをどうやって伝えるか?言い換えれば気にかけさせるか。難しいですが、自分の心根を伝えるのはとても大切です、先生も患者の本心を聞きたがっています。こうして無事治療を終え、経過観察に入りました。
治療が2クール増えたので、その分ゆっくりする間もなく職場復帰しました。外見がどんどん普通に見られるようになって行くし、営業なのでお客さんとも元気に話をします。会社に迷惑かけたし期待に応えようともします。そんな無理がたたり。体調不良のため、何度も休職・復職を繰り返す。心と体のバランスがとれなくなり、サイコオンコロジを紹介して欲しいと主治医に訴えた事もありました。そんな時、「生きようと頑張るのではなく「生かされている」のだ」と思い始めたら、気持ちがスーっと軽くなりました。自分の気持ちが変わっただけで、全てが軽くなりました。人の心って凄い力を持っていると思いませんか?心が全てを動かしている証拠です。心が決まれば治療も良い方向に向かいやすくなります。
5年経過時、生き方の転機がありました。完治だと意気込んで診察室に入ると、主治医からおめでとうの後「放射線を沢山浴びたのを知っているよね。これからは2次癌になる可能性が高くなり、後5年生きている可能性は4割」と「まさかの辛い宣告」。5年生存率が5%と言われ、その4割だと10年生存率は2%?と愕然としました。ならば、会社のためではなく「がんを告知された人の為に何かしたい」と思い集まれる場所作りが出来ないかと退職を思い立ちました。
私自身、たまたま少しの運は持っていたのかもしれません。
小細胞肺がんは完治と言われた私が「生かされている」証として
何が出来るか?考えてみました。
その一つ目が、主治医との話から出た事ですが、「岡山肺がん患者会」を立ち上げて、同じ経験をした仲間が居て、励ましあったり、愚痴を言い合ったりと大きな力になる仲間作りをしていきたいと思っています。
協力者を募っているところなので、会場でどなたかいませんか?我こそはと思った方は、この後私をつかまえて下さい。
2つ目が、闘病前からの事を記録として残しています。
ブログに今日お話しした事以上の事を詳しく書いています。興味のある方は「オヤジの休日」で検索して下さい。今日もブログの仲間が何人か会場に来ています。そんな仲間にどれだけ励まされ救われた事か?
3つ目は、「肺がん患者なのに」に挑戦しています。
6年前に肺がんステージ4だったオヤジが、マラソン大会で10Kmを走り72分かかりましたが完走しました。
胸のプリントです。「肺がんステージ4オヤジ 走る」というプリントをして走りました。この事を知っていた人達には希望になれたはずです。
私が生きてる事は奇跡でもなんでもありません。事実こうして立っていますし、喋っていますし、闘病中からすると10Kg以上太っています。これら全て事実・現実です。
最後になりますが、これは私からのおまじない。
よくなる、よくなる、絶対良くなる。
告知された方、闘病中の方、そのご家族、知人にこの言葉を送り私の話を終えたいと思います。
最後までご清聴ありがとうございました。