AYA世代座談会①

みなさん、こんにちは
AYA世代の座談会を行いました。AYA世代とは15歳から30歳前後の思春期・若年成人(Adolescent and Young Adult, AYA)の患者さんのことです。
肺がんは年配の方が多いですが、この年代の患者さんもいます。AYA世代の方はどんな考えを持っているんでしょうか?読んでいただければと思います。何回かに分けて投稿します。それではどうぞ。



―――今日は肺がんのAYA世代座談会です。肺がんのAYA世代ってあんまり聞かないし、3人ともステージ4なので、そういった意味でもほかの世代の人たちの声と違うのかな、どんなこと考えているのかなって思います。ちなみに私(長谷川)も39歳でがんになったので一応AYA世代に入るんだけど、主張したことは一度もないです(笑)。では自己紹介を3人それぞれお願いします。




Aさん  
 はい。Aと申します。2013年の6月の会社の健康診断で引っかかり、精密検査をして、8月にステージ4の腺がんとわかりました。ALK陽性だったのでザーコリを2年間使用して、その年の10月からアレセンサを飲んでいます。2年ごとに脳転移が出てきたのでサイバーナイフで治療をしています。今年の2月に脳転移の前頭葉の部分がちょっと大きかったので、開頭手術で腫瘍を取りました。

 当時、食品関係の職場で働いていて、がんとわかった後も体調がいいときだけ働いていたんですが、副作用が強く、めまいとか立ちくらみがよくありました。行ってもちょっとやってすぐ帰るみたいなことが続いてしばらく休みをもらいました。 でも体が薬に慣れくると調子がよくなって、外に出かけることはあるのに仕事しない私ってどうなの?と自己嫌悪に陥ってしまって、それで一度辞めました。

 1年たったときに調子もよくなったので、ハローワークの長期療養者支援制度の窓口で職を探してもらいました。立ち仕事はまだ自信がなかったので社労士事務所のパート事務を1年半やって契約満了で辞め、また同じ職場に戻って今は週3で働いています。罹患が27歳で、今32歳です。




B君  
 Bと申します。2013年10月に肺がんステージ4の診断を受けました。9月ぐらいから空せきが続いて、病院でレントゲン撮ったら影があるっちゅうことでPETを受けて、10月に判明しました。遺伝子は変異がなくて、抗がん剤の治療をしました。シスプラチンとイリノテカンを4クールやって、6センチあった腫瘍が1センチぐらいに縮んでくれたので、そっから維持療法入りました。アリムタ、ドセタキセル使って、シスプラチンとイリノテカンをもう一回使って、そのあたりで脳転移が発覚しました。数カ所あったんですが全脳照射で消えてくれて、今は1センチぐらいのが1カ所あるぐらいです。その頃にちょうどオプジーボが認可されて、現在もオプジーボをやってます。その間に腰、馬尾神経っていうところに転移もできて、それも腰椎の放射線で消すことができました。

 罹患したときは26歳で、工事の仕事をしてたんですけど休職させてもらって、傷病手当金を1年半もらいました。でも、うつっぽくなっちゃって、なかなか一回休むと復帰することに勇気がなくてずるずると延びてしまって(笑)。一度退職しました。その後、オプジーボが使えるようになって、副作用がほとんどなくなったんですよね。で、あきらめてた仕事もこれできるんじゃないかと思って復帰させてもらいました。ただ、時間制限みたいなのつけてもらって、流動で100時間前後で働かせてもらってます。



―――100時間とは?


B君  

 週3日フルタイム、2日半日とかですね。仕事の波があるので、この日は現場があったりこの日はなかったり。仕事あるときは働いて、本当何もないときはちょっと休ませてもらってみたいなかたちでやってますね(笑)、だんだん仕事の時間は増えてきてますけど。


Aさん  
そこも悩みって言ってたもんね。扶養範囲内で頑張りたいんだっけ?。


B君  
110時間を超えると厚生年金と協会けんぽに加入しないといけなくて、それが正社員との分かれ目と言われてて。



―――扶養範囲内が働き方が希望なんですね


B君  
 やっぱり先のことを考えるとどうなるかわからないので、アルバイトのようなかたちでやらしてもらいたい。収入もある程度入りますし、好きなことにも時間が使えたりして、精神的にも上がってると思うので、こういう活動(※今回の座談会に参加して、体験を伝えることなど)もできますし、それは合ってるなって思うので。

だんだん仕事が忙しくなってきているんですけれども、ある程度の線引きをしなきゃだめだなって。ほいほい手伝っちゃうところがあるので(笑)。



―――忙しいと、なかなか途中で帰りますとは…


B君  
言いづらいですよね。(笑)。



―――シスプラチン、イリノテカン、2013年なら珍しくない?



B君  珍しい?いや、言われないですけど(笑) がんはつらくないですね、全然。副作用、シスプラチンが辛いですね、特に吐き気がひどいです。



C君
 Cと言います。私は2016年の12月に風邪を引いて、内科に行って薬をもらって熱は下がったけど、数日後におなかの調子が悪いから今度は別の病院で診てもらったら脱腸と言われました。脱腸は手術したら治るからと、紹介状をもらって大学病院に行きました。診てもらったらやっぱり脱腸があるので手術しましょう、そのための事前検査をするからということで血液検査とかCTを撮りました。その日帰宅してる途中に病院から電話があって、すぐに戻ると、肺に影があると言われました。レントゲン科の先生が気づいてくれて、それで主治医の先生がすぐに連絡くれて、その日二度目のCTを今度は頭から全部CTを撮り直したらやっぱり肺に影があって、肺腫瘍の疑いと言われました。それが2016年の12月末で、年明けて最初にPET検査して、そのあとに気管支鏡検査を2週間ぐらい間隔をあけて受けました。

 PET検査は胸膜播種の疑いと言われてショックだったんですけど、気管支鏡検査はclass2か3の曖昧なグレーラインで、がん細胞は出てこなかったので、その大学病院もちょっと困って、会社のほうからのすすめもあって別の大きな病院で受け直しました。

 そしたらやっぱり肺がんということで、2017年の2月確定診断が出ました。最初の見立てではステージ1から3だから手術できるということでしたが、手術を受けたら胸膜播種があったのでステージ4で、結局サンプルだけ取って、肺は切除せずに胸腔鏡でちょっとだけ開けただけで終わりました。

 1カ月ぐらいかかって検体の検査で出てきたのがALKとEGFR陰性で、PD-L1高発現でした。ちょうどキイトルーダが使えるようになった頃だったのでファーストラインで使って、2017年の4月から今もそのまま治療を受けてます。腫瘍は全然大きくもならないけどちっちゃくもならない感じです。仕事はがんの疑いがあるとわかったぐらいからお休みいただいていて、今は休職中です。35歳で罹患、今36歳、独身で、一人暮らしです。



―――副作用はあるんですか。



C君  
副作用は体がだるいと感じることは結構あって、胸腔鏡検査したときに痛み止めの薬をもらってずっと飲んでたんですけど、今度はその薬の飲みすぎで胃の中が荒れて、今でも吐き気とか食欲不振が続いてます。で、その薬は切り替えて別の薬飲むようにして、副作用はコントロールしてます。


―――特にキイトルーダの副作用はない


C君  
そうですね。



―――生活は変わりましたか?



C君  
 病気のことは調べるようになったかなと。とりあえず新しい良い薬が、根治できるような薬が出るまでは、PS0のまま頑張りたいなというのが今の気持ちかな。仕事のこととか考えたら、同僚がどんどんキャリアパス順調に積んでいってるのを見ても不満にしか思わないけど、考えてもしょうがないんで、逆に1年休んでもいいよと言って貰えるその環境がありがたいと思うようにしてます。自分の軸足をどこに置くかで自分が幸せと思うか不幸と思うかは変わってくると思うんで、どちらかというと自分はラッキーだったと思うように。

 もともとがんが見つかった理由も脱腸だと言われて、そこから検査してたまたま見つかったので、ステージ4はつらいけど、そういう意味では幸せかなと思うようにしてます。なので、考え方はちょっと変わったかなと思います。

 あと変わったことは、がんになって最初はAYA世代の肺がんの人は周りにいなかったので、すぐに3人知り合いになって、最初に会った時はすごくうれしかった。


その2へ続きます。


※この座談会は、樋口宗孝がん研究基金の寄付によって制作いたしました

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