ノーベル賞・本庶先生 感謝の会と「患者・家族・医療者のコミュニケーション」 PINOさん その1

さてさて、
昨年のパールリボンキャラバン2018 in 富山で講演された記録です。
「患者・家族・医療者のコミュニケーション」の中からお父様とのコミュニケーションのお話し

 

『失敗からのスタート』です

まずは自己紹介をさせて頂きます。私は26才のとき1型糖尿病とバセドウ病に罹患しました。1型糖尿病は免疫チェックポイント阻害剤の副作用の一つでもあるので皆さん、なんとなくどんな病気なのかおわかりなのではないでしょうか。患者である父そして母と一緒に暮らしています。そして弟家族が横浜に住んでいます。

父の診断から治療についてです。2016年11月岐阜市の健康診断で胸部レントゲン検査で要・精密検査となりその日から長年吸っていたタバコをやめました。確定診断の結果は肺腺がん。右下葉胚原発 縦郭リンパ節転移あり ステージⅢb。EGFR変異ありでした。この写真は気管支鏡検査を行い、確定診断待ちをしていた大晦日12/31の写真です。やはり確定診断を待っている間というのは精神的にとても不安でした。年明け確定診断の結果を受け今後の主治医が決定し1/11から入院治療が始まりました。2月に30回の放射線終了に伴い退院、通院での抗がん剤治療を継続。退院後、自宅に戻った頃から放射線の副作用である食道炎が出始めてきました。

7月に抗がん剤治療を終え現在は経過観察です。現在も副作用として手足の痺れが残っています。この写真は抗がん剤治療中、家族でディズニーランドへ行った際の写真です。抗がん剤終了も束の間8月、長年の喫煙、放射線などの影響で気胸発症し手術となりました。翌年5月に気胸再発で入院、退院数日後、帯状疱疹に罹りました。現在は帯状疱疹後神経痛と抗がん剤の副作用の手足の痺れCOPDの症状がある中で不自由がありながらも毎日、散歩をしたり軽く体を動かしたり仕事にも従事し生活しています。

確定診断を受けた際のお話です。確定診断を受けるまでは紹介状に書かれていた先生に診ていただいていたので今の主治医ではありませんでした。私は確定診断を受ける日に初めて一緒に病院へ行きました。この時、先生から私へ「あなた誰?」と問われその先生に対する第一印象は、なんとなく冷たい感じの先生だななんていう印象を受けてしまいました。この時「娘さん?」など違う聞き方をしてもらっていたらもっと違う印象になっていたように思います。この先生からの説明は「根治は目指せないので延命でいきましょう。」手術はできないということ。治療法について、いつから入院可能かどうかの確認のみでステージや遺伝子変異の説明はありませんでした。遺伝子変異については私からせんせいへ質問しました。ステージについては両親の前で聞く勇気がなかったので診察室から出た後、もう一度ドアを開け先生に確認したところ4よりの3と言われ診察室を後にしました。私自身、延命という言葉に頭が真っ白になっていたと思います。

宣告された時の父・母・私3人の気持ちです。父は、やはりがんだと言われ一瞬、頭がボーッとしたそうです。余命を言われなかったので怖いという感情はなかったそうです。夜、ベッドに入る時「人生まぁ幸せだったのでまぁいいか」と思えたと。ははも父と同じような感じで、がんになってしまったのならばしょうがない。治療すれば良いと。私は「がん=死」というイメージがありもうダメなんだ・・・と思ったのと両親に辛い想いをさせてしまった出来事があり父が、がんになったのは自分のせいだと思いました。

 

続きます