がん教育 と「患者・家族・医療者のコミュニケーション」 PINOさん その2

「患者・家族・医療者のコミュニケーション」の中からお父様とのコミュニケーションのお話し

『失敗からのスタート』その2です。

父が退院し通院での抗がん剤治療生活を送り始めていくなかで父との確執が出来始めていました。

治療生活を過ごす中での父・母・私の3人についてです。私は父が肺がんかも?となった時から肺がんの情報を探しました。「がん=死」だった私にとっては自分と母との今後の生活を考え、また自営業でもあるため父に代わり私が仕事をしなければと強く思いました。父と病院で仕事の打ち合わせをしたり、私のせいと言う想いが強かった事もあり、もう楽しい思いをする事はしてはいけないと思ってしまったり必死な毎日でした。母はどんな時でもポジティブですが、父が、がんと分かりやはり肺がんの本を一通りは読み、私と同じく食事療法の本も読み母なりに勉強をしました。入院中、父は抗がん剤の副作用が弱かったので気ままな入院生活を送っていました。

がんと分かり、新聞を開けば、本屋さんへ行けば「○○でがんは消える!」と言ったような情報ばかりが目に入ってきます。退院後、私と母でタンパク質や乳製品の制限、玄米、減塩、大量に野菜にヨーグルトなどの食事療法を取り入れ始めていきました。

始めは何も言わず父も食事療法を受け入れていましたが放射線の副作用である食道炎や抗がん剤の副作用が出始めてくる中で段々、食事制限が苦痛になっていきました。「ヨーグルトは食べる。だから甘いのにして欲しい・・・種類を替えて欲しい…」減塩、大量の野菜ジュースについても。少しずつSOSが出始めました。「体が楽になったら全てやるから今だけは許して欲しい」こんな父からのSOSに対しても私と母は、

耳を貸すことなく父の為とやり続けました・・・

その結果、父は何も話さなくなっていきました。そんな父を無視し食事制限を続けた結果、ある日、父は爆発しました。私には「お前は二度と会社に来るな!通帳と印鑑をかえせ」と。母に対しても爆発しました。この後、私たちは約2ヶ月の間、一言も会話をすることはありませんでした。

父が爆発していなかったのなら私たちは父が倒れるまで、まだまだと続けていたと思います。父が爆発してくれて良かったと今は思っています。

父が爆発し何もしゃべらなくなった時、色々考えました。食事制限をやめようと思った理由は3つあります。

理由①それは民間療法を行っていたあるがん患者さんのことばです。

父が爆発し何もしゃべらなくなった時、色々考えました。食事制限をやめようと思った理由は3つあります。

理由①それは民間療法を行っていたあるがん患者さんのことばです。

理由③父と会話がなくなったけれども、やはりネットで色々なことを調べていました。がん治療のなかでやってはいけない事、食事制限をするほうが治療に悪影響がでるという医療者の方々が発信されている情報、エビデンスが無いことなどです。家族として患者会へ参加し患者さんの前向きな姿を見たこと。そしてなにより、1人でコンビニのサンドウィッチを食べている父の後ろ姿がやっぱり一番辛かったのです。

 

 


続きます