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「患者・家族・医療者のコミュニケーション」 

三宅さん その1

昨年のパールリボンキャラバン2018では「患者・家族・医療者のコミュニケーション」と題してセッションが開かれました。この時には、特に患者と家族の間のお話が中心。三宅さんのお話です。

 

それにしても様々な関わり、悩みがありますね。そしてどれをとっても、あるある話になっていて、興味深いです。ではどうぞ。

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こんにちは

Hi!女子会の三宅房世と申します。

よろしくお願いします。

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となっています。

まずは、①の自己紹介です

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ずっと大阪に住んでいます。

息子は25歳と20歳なので、犬だけが私の癒しです

 

続いて

②番目の病歴と治療歴です。

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2012年9月に、健康診断で肺に影が見つかってからレントゲン写真を持って、まず私が喘息で通っていた主治医のもとに行きました。
そこでCTを撮り、待合で待っていたら、その主治医が真顔で「大阪はびきの医療センターへすぐに行きなさい」と紹介状を渡されました。

 

大阪はびきの医療センターでは、検査三昧の日が続きます。
血液検査、レントゲン、CT、MRI、骨シンチ、PET、気管支鏡検査検査をし2012年10月、検査結果から肺がんステージⅣと告知されました。


 


当時、ALKの結果がすぐに出なかったのか「EGFRは陰性でした」と残念そうに言われたのを覚えています。

 

2012年11月、入院をしてカルボプラチン+アリムタ+アバスチンでの治療が始まりました。
骨髄抑制のせいなのか腰が痛くて眠れないこともありました。

 

2013年2月から維持療法(アリムタ+アバスチン)の開始です。
3週間ごとの点滴。
その間に検査も入ったりで、この頃は毎日のように病院へ行っていました。
維持療法は、副作用の加減で途中休んだりもしながらトータル23回しましたがだんだん腫瘍マーカーが上がり始めました。



抗がん剤をしている途中で、ALK陽性がわかっていたので

2014年10月 アレセンサに薬剤変更となりました。

おかげさまで4年4か月アレセンサが効いてくれています。

 

そして③番目のがんとのお付き合いとコミュニケーションのお話です。

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がんと告知されてから6年が過ぎましたが

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6年前の私は、病院に行く回数が多かったのもありますが
病院に行って先生や看護師と話をすることが私の心の支えとなっていました。

 

病院に行っていないときは孤独でした。
友達にもカミングアウトしていなかったし、家族に話しても、う~ん…なんか違う…
といった感じでした。

 

どんな風だったかというと・・・
私以上にがんのことを知らない家族は、誰に聞いてきたのか、
〇〇の整体に通ったら癌が治った人がいてるらしいから行っておいでー!と・・・

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整体なんかで癌が治るわけないやん!


こんな風に家族と話をしてもかみ合わないので、病気のことに関しては
あまり話さなくなり、一人で考えてばかりでした。

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でも、考えても考えてもがんになったことがないから、どうすればいいのかわからず・・・
結局、一人になるとシクシク泣いてばかりでした。
 
そんな状況から脱出したくて、わかってもらえる人を探そう!
と、色々模索が始まります・・・
 
 
次回に続きます~

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