体験者インタビュー・ぴあなさん その1

今回は、ぴあなさん(肺腺がん、EGFR変異あり、男性、62才)です。2000年に微熱が長く続き、その時の胸部CTですりガラス状陰影(GGO)が見つかりました。その後、経過観察をしてきましたが、2008年に3.5センチぐらいの大きさで手術をしています(ステージ1B)。そして4年後の2012年に再発し、分子標的薬、殺細胞性抗がん剤やオプジーボなどの治療を経て、現在も抗がん剤で治療中です。オプジーボの影響で間質性肺炎になり、酸素吸入器の助けも借りつつ、緩和ケアも視野に入れながらも、通院治療を続けています。

 

 

 

 これから4回に分けて、ぴあなさんのインタビューを掲載します。このインタビュー、こころさんが担当しました。

 

 

 

― 発覚の経緯。長く苦しんだ微熱。

  そして、CTで見つかった肺のすりガラス陰影。

 

 

 

 

 2000年8月、会社を辞めて行きたかったくらい楽しみにしていたザルツブルク音楽祭のために、初めてドイツ、オーストリアに旅行に行きました。出発のときに風邪をひいていて、10日間ぐらいの旅行だったのですが、日本に帰ってきたら結構風邪が悪化してしまいました。咳はなく、一番辛い症状は微熱で、37度8分ぐらい。それが、4カ月から半年ぐらい、ずっと毎日毎日続きました。もう本当に苦しく、あちこちの病院に行って、9月に近くの病院でCTを撮りました。そしたら右の下葉のところに5ミリぐらいの淡い影(GGO-すりガラス状陰影)があり、肺がんの疑いがあるから、もっと調べたほうがいいということになりました。

 

 

 

 

【すりガラス状陰影】

(出展)神奈川県立がんセンター 一般向け情報

http://kcch-tog.umin.jp/pub/disease.html

 

 

 

 A大学病院に10日間入院し、全身の検査を受けたのですが、結果としては5ミリの肺がんの疑いがあるということで、あまり新しい事実はなく、微熱の原因もわかりませんでした。カルチノイドの検査もそこでやったのですが、微熱につながるような肺がんではないと。結局、精神科に回されて、精神安定剤を飲むことになって、ちょっとはっきり覚えてないのですが、4カ月ぐらいそれを飲んでいました。メイラックスっていう薬。よく眠れるけれど、朝起きたらやっぱり7度8分とか7度5分とかあるので、全く何の解決にもならなかった。

 

 

 

 A大学病院では、某首相が泊まったVIP部屋に最初は入院させられました。金額が高いので、強く希望して段々部屋のランクを下げて、最終的には大部屋に行きましたけども、結局何にも得られなかったですね。高いお金払ったけれど、結果的には微熱の原因はわからなかったです。あちらこちらの大学病院やがん専門病院にセカンドオピニオンをとりに行きました。結果はどこも同じで、肺がんの疑いだけ指摘され、影と微熱との関係は否定されました。

 

 

 

 

― 肺を手術する恐怖・・・

微熱も治ったこともあり、経過観察を選んだ。

 

 

 

 B病院では有名な呼吸器外科の先生に診てもらって、手術をしなくてはいけないと、結構厳しい話がありました。当時、45か6だったかな。やっぱり肺を取ることを非常に恐れましたね。それで、ふらふらになって、診察室から出てきました。そして、先に診察していたおばちゃんと帰りにたまたま一緒になって、声をかけていただいて、「ウナギでも食べて元気つけて」とか言われて、ウナギ屋さんに連れていってもらって、ごちそうになりました(笑)

 

 

 

 それで微熱は、年が明けて、2001年2月だったか3月に風邪を引いて、40℃ぐらい熱出たんですよ。病院に行ってフロモックスっていう抗生剤をもらい、そしたら微熱も治ったんですよ。大量のたんも出ました。それで本当に僕は奇跡的に何か救われたっていう気分になりました。微熱でもう生きていけないなというぐらいQOLが悪かったので、ようやく正常な精神状態と身体的な感覚が戻ってきたので、肺のなかの影は、おそらく炎症だったのだろうと思いました。

 

 

 

 その後、うなぎをごちそうしてくれたおばちゃんが教えてくれたがん相談所の先生のところにも行ってみたら、「慌てて切ったらだめだよ。」と言われました。「外科医は、もうみんな切りたくてうずうずしている先生方ばっかりだから。」「ほっといても平均寿命は全うできるよ。」「この手のタイプのがんは進行もそんなに速くないだろうから。」という言葉をいただいたので、私はもう散々セカンドオピニオン、サードオピニオン、フォースオピニオンとかやっていましたけども、とりあえず微熱がまず治ったので、ちょっとゆっくりしたかった。もうこの影は、もう無視しちゃおうと。

 

 

 

 ただし、誕生日の前後に受けられる、市でやるレントゲンだけは受けていました。そこで2008年に(発見から8年後)初めて異常があると指摘されました。「慌てて切ってはだめだよ」と言ったがん相談所の先生のところにすぐに行き、提携しているクリニックでCTを撮って、画像を先生のところに持って行きました。

 

 

 

― 8年間で5ミリから3.5センチに。覚悟を決めた。

 

 

 

 

 右の下葉の5ミリ大だったやつが3.5センチになっていて、リンパ節には転移はなさそうなので、すぐ手術しろという話になりました。怖いと言っていられず、僕も覚悟を決めたので、紹介状を書いていただいて、Cがんセンターまで行きました。国立がんセンターに行ったときのセカンドオピニオンを担当してくれた先生がいいと思っていたので、先生の異動先に行きました。

 

 

 

 ふちはまだGGOなんですが、中のところに少し濃いところがあるので、転移の可能性がないとはいえないと。5ミリのときに切ってしまえば転移は起こさなかったんで、多分再発していない可能性が高いのですけど、当時は45歳だったから、肺を取ることの怖さとか失望とかいろんなものが混ざり合っていました。「ちょっと様子を見ていい」って先生も言ったし、手術をしませんでした。

 

 

 3.5センチになったときは、少し濃いとこもありました。病理の分析を見ると、高分化細胞から中分化の細胞が集まっているというような書き方でしたね。高分化だとゆっくりめ、中分化だと普通のがん。低分化だと進行速くて、未分化だとうんと速いってわけですよね。最初1Bだって言っていたんですけど、画像見たときも1Bで、手術の病期も1B、病理検査しても1Bでした。リンパ節は全部郭清しました。普通セットで取るんですよね。執刀した先生も自信持っていたくらい、手術はうまくいきました。

 

 

 

 術後、UFTっていう再発防止のためのソフトな抗がん剤を2年間きっちり飲みました。多くの人が途中で挫折したりするんだけど、私2年間で飲み損じたのは10粒以内なんです。結構まじめな性格なので、ちゃんと飲みましたが、4年後の、正確に言うと3年半たったあたりで、CEAが上がってきたんです。